その日暮らしな文系院生の歩き方

研究・留学・ときどき猫

「国家と個人は別」に違和感

色々ありますよね、最近、近隣国で。

韓国と日本の関係とか今に始まったことじゃないですけど、色んな意味で悲しいです。

 

最近そのニュースに付いてるコメント読んでて思ったんですけど、必ず日本側に「国家(の争い)と個人は別なのに...」とかいう意見ありますよね。まぁわたし自身も中国人の友達と話をしていて感じたりすることなんですが。

でもこれって面倒なことから都合よく逃げてるだけなのかな...と

そもそもこういうことを思う私みたいな人は、国家は一人一人が担うものだっていう意識が低いんでしょうね。他人事だと思っているというか。

 

一方の中国や韓国では、まつりごとが自分事な人が多いんでしょうね。愛国心が強いとはいうのとは別の意味で。(愛国心も強いと感じますが)


もちろん「A国人が犯罪を起こした→A国人は悪」のように、一部で起きたことを全体に当てはめるのはどうかと思いますが、今回の韓国の例をみるとそういう論理ではないと思います。「輸出規制→物買わない運動、輸出規制への反対運動」なのであって、多くの人は日本という主権国家を批判していたのだとしても、その国民を個人レベルで批判している訳ではないと思います。攻撃を受けた人もいるのかもしれませんが。

 

多くの場合、個人が攻撃されていると感じるのは、わたしたちが勝手に「自国を批判している→自分を批判している」というように置き換えているからなのではないでしょうか。

 

ここに矛盾があると思うんです。(以下、自分のことを言っているにすぎません)

 

国家は一人一人が担うものだっていう意識は少ないくせに、自国が批判されるとまるで自分を批判されたかのように判断する。つまり、日本人としてのアイデンティティーはあるけれども、政治に参加することへの責任感はないということですよね。

 

だって無関心は楽だから。

ニュースとかそもそも読まない方がストレスを感じないし、ネガティブなことから距離をとった方が楽だし。

 

でも、そういう他者を理解することへの怠惰な姿勢が今のこの状態をつくってしまったんでしょうね。経済的にも社会的にも政治的にも内を守ることに必死で外はどうでもいいというか。

 

反省。